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熊本家庭裁判所 昭和52年(家)630号 審判 1979年3月29日

申立人 曽根義政

相手方 杉本清

主文

相手方が被相続人亡杉本亮介の推定相続人であることを廃除する。

理由

一  本件申立の趣旨は、主文と同旨であり、その申立の実情は

(1)  被相続人亡杉本亮介は、昭和五二年三月一八日、熊本地方法務局所属公証人第一〇〇二号遺言公正証書によつて遺言し、自己の四男である相手方が推定相続人であることを廃除する旨の意思表示をするとともに、同遺言によつて申立人を遺言執行者に指定した。

(2)  相手方は、亮介の熊大付属病院入院中、(I)亮介がかねてよりその妻美知に保管させていた印鑑、及び長女曽根好子に保管させていた別紙第一物件目録八、九各記載の預貯金の各証書(各旧名義人のもの)を、あたかも亮介の指図があつたかのように欺いて、昭和五二年二月二五日、上記各保管者から交付させて、同目録八(イ)記載亮介名義の定期預金の払戻しを受け、あらたに同目録八(ロ)記載の相手方名義の定期預金をして名義変更し、また同目録九記載の各定額郵便貯金は同日亮介名義を、同目録九(1)記載のそれは相手方の妻杉本敏子名義に、同目録九(2)記載のそれは相手方の長男杉本幸男名義に、それぞれ名義変更したうえ、自己の占有下におき(ちなみに、上記定額郵便貯金の各証書は、昭和五二年三月二一日亮介が死亡したのにともない、その葬式・供養費用として、相手方から美知に返還された。)、(II)亮介が居住のため使用していた同目録一・二各記載の土地建物の各所有名義を、亮介に贈与の意思はないのに、これを無視して、昭和五二年三月二日、いずれも亮介名義から同月一日贈与を登記原因として、相手方及び敏子の共有名義(各持分二分の一)に変更し、(III)また、同目録三ないし五各記載の土地の各所有名義を、亮介に贈与の意思はないのにこれを無視して、同月七・八日にいずれも亮介名義から同月三日贈与を登記原因として相手方名義に変更した。

(3)  なお、同目録八記載の定期預金及び同目録三ないし五各記載の土地の件はいずれも後に調査した結果判明した相手方の非行である。

(4)  相手方は、亮介の健在のころ、別紙第二物件目録記載の土地建物を取得するに際し、亮介から資金提供を受けたり、タクシー営業資金として車輛代ともで約一五〇万円の贈与を受けたりして、多額の財産を与えられながら、上記のとおり預貯金証書、印鑑の各保管者を欺いて、預貯金について名義変更をしたり、また土地建物について自己又は妻に所有名義の変更をしたりしたものであつて、その非行は著しく、相手方を被相続人遺言者亮介の推定相続人から廃除するため本件申立に及んだ。

というのである。

二  そこで判断するに

(1)  本件記録及び当庁昭和五二年(家イ)第二八七号親子関係調整調停申立事件記録の各資料を総合すると、上記申立の実情(1)の事実及び同(2)の事実のうち相手方の各行為が亮介の意思に基づかなかつた旨の点を除くその余の事実の全部をそのとおり認めることができる。

(2)  上記申立の実情(2)の事実のうち相手方の各行為が亮介の意思に基づくものであるかどうかについては、上記各記録中の相手方及び杉本憲三の各陳述中には、これを積極的に裏付けるかのような部分があるが、前者は陳述内容自体不確かな点が多く首尾一貫しないばかりか、いかにも作為的で経験則にも反するものであり、上記各記録中の後者を除くその余の関係者らの各陳述と基本的に相違するものであることに照らして、とうてい措信することができず、後者は昭和五三年一月二三日の杉本美知に対する当裁判所の審問の結果によると本件以外の山林の名義変更に関する事項との取り違えがあつたと疑われるふしもあるほか、やはりその余の関係者らの各陳述に徴して採用するには足りないものである。

かえつて上記各記録中の各資料を総合すると、次のような各事実を認めることができる。

(イ)  亮介は、大正の初め南米ペルー国に渡つて一六年間店を経営して働き、相手方が出生後間もなく帰国し、買い求めた田畑を耕作しあるいは地主として得米をえて生活していたが、終戦後は(長男の杉本昇が戦病死していたため)二男の杉本進とともに○○○郡○○町において農地改革で残された田畑を耕作して生活を立てていたこと

(ロ)  四男である相手方は、当時タクシーの運転手などをしていたが、蓄えというほどのものはなく、水商売で働いていた妻敏子と一緒になり、およそ半分は敏子の手持金で残りの半分は亮介から資金提供を受けて、別紙第二物件目録記載の土地を購入し、同地上に同目録記載の建物を建築しいずれも自己の所有名義としたこと

(ハ)  亮介と進とは、進が飲み屋で知り合つた女性が進の嫁としてふさわしいかどうかで意見が衝突し折合いを悪くして、亮介は、上記○○町所在の田畑のうち一部を進に与え残部を売却処分し、昭和四四年ころ、妻美知とともに別紙第二物件目録記載の土地建物に居住する相手方宅へ移転したこと

(ニ)  上記移転のほか、相手方がその後個人タクシーを開業することとなり、○○○の土地建物では手狭でかつ車庫を建築する余地もなかつたので、亮介は、上記田畑の売却代金から資金を出して、別紙第一物件目録一記載の土地を購入し、昭和四五年末同地上に同目録二記載の建物を新築し、相手方の家族とともに転居し、昭和四六年相手方が開業した個人タクシー用の車輛代及び車庫建築費等として約一五〇万円ないし二〇〇万円を出資したこと

(ホ)  個人タクシー開業後、相手方は、その売上金を亮介に渡していたが、亮介は、その売上金について「自分も個人タクシーについては出資しているから収益は自分と相手方と両方のものだ。」などと言つて預り、自己が受ける年金とあわせた中から生活費・交際費等を出費した残りは、上記田畑の売却代金の残部に加えて自己名義で肥後銀行や郵便局へ預貯金していたこと

(ヘ)  なお、当時申立人は亮介から借り受けた七〇万円の元利金の分割代物弁済として例年米七俵その他野菜類を亮介に届けていたが、これらも亮介及び相手方の家族全部の生活の資となつていたこと

(ト)  亮介は、昭和五一年一二月ころ国立療養所○○荘に入院し、○○○郡○○町の○○病院に移り、昭和五二年二月二日○○大学医学部付属病院に再び移つたが、その後一時は相手方の妻敏子が亮介の看護に当り、死亡する直前ころは長女曽根好子(申立人の妻)などが看護に従事したこと

(チ)  昭和五二年一月一七日ころ申立人方において、亮介、美知、相手方、敏子、鈴木正雄夫婦等が集つて親族会議が開かれた際、相手方が亮介に対し「もう養いきらんので家分れしたい。退院すれば○○○の家へ帰つてくれ。自分に○○○○の家・屋敷と預貯金のうち三〇〇万円を貰いたい。」と申出たが、亮介が「進は子供を育てるときに役立つている。お前にはやらん。老先き短い自分達を見捨てないでくれ。」と断つたところ、相手方の妻敏子が急に態度をかえて「(申出をしたことは)悪かつた。いままでどおり見て行く。」と言つたので、亮介は涙して喜んだこと

(リ)  美知は、○○病院に入院する際、別紙第一物件目録八・九記載の預貯金の各証書を好子に預けていたところ、それを知つた相手方は、自分を信用しないものとして、昭和五二年一月二〇日ころ美知に対し「○○銀行の定期預金をおろしたい。どうせ税金でとられるから私にくれ。」などと言つて好子に電話させ、好子から上記各証書を受け取つたこと

(ヌ)  相手方はその後の昭和五二年二月ころ美知に対し「個人タクシーはその条件として自己名義の車庫とその敷地が必要だから、車庫の敷地分だけ分筆登記するから」などといい加減なことを言つて、美知が保管していた亮介の印鑑登録済み印鑑(実印)を受け取り、これを使用して上記申立の実情(2)のとおり預貯金について名義変更をしたり、また土地建物について所有名義の変更をしたりしてしまつたこと

(ル)  その後相手方による上記名義変更の事実を知つた亮介は、死亡する約一〇日前ころから狂つたように泣きながら「アメリカまで行つて働いたのに死んでも帰るところがない。残念。残念。拝むら遺言書を書く準備をしてくれ。」などと言い、昭和五二年三月一八日上記申立の実情(1)の遺言書を作成して読み聞かせると、「これで思い残すことはない。いつ死んでもよい。清(相手方)のびつくりする顔を見て死にたい。」などと拝んだりして喜んだこと

(ヲ)  昭和五二年三月二一日亮介は上記付属病院でガンのために死亡したこと

(ワ)  ちなみに、別紙第一物件目録六記載の土地は、相手方のタクシーに乗り合わせた八代市でパチンコ店を経営する松田某に亮介の手持金を貸した際その貸金に代えて受け取つた物件であるが、農地であつたことから便宜申立人名義にしたものであるところ、相手方は、亮介所有の財産中上記農地と同目録七記載の土地のみが亮介以外の者名義であるかあるいは亮介以外の者との共有名義であつたことから「どうしようもない。」などと言つてこれらについては名義変更はしなかつたこと

以上の各事実を認めることができ、上記各記録中の相手方の陳述中上記認定に反するか又は反するかのような部分はとうてい措信することができず、これらの認定事実を勘案すると、推定相続人である相手方は、被相続人である亮介の死亡が間近いことを察知するや、その遺産の相続関係について上記被相続人の最終的な処分意思は無視し、あらかじめ既成事実を作り上げて、その遺産のほとんどの部分を可能な限り実質上自己において単独取得しようと図り、偽計を用いて上記預貯金や上記実印を各入手し、上記被相続人の意思に基づくことなく、自己名義あるいはその妻子名義などに上記各名義変更をなし、よつて主観的にも余命いくばくもないことを自覚しており、かつ客観的にも臨終が近い状態にあつた上記被相続人を激しい怒りと悲嘆に落し入れ、同被相続人に対し甚しく不当な精神的苦痛を与えたものであり、相手方が昭和四四年ころから昭和五一年まで上記被相続人と上記のとおり同居したこと及び同被相続人入院中相手方の妻がその看護に当つたこと等の扶養的行為をじゆうぶん考慮に入れてみても、本件における相手方の上記各名義変更などの行為は、およそ被相続人と推定相続人との相続的協同関係を破壊するに足りる著しい非行であるといわなければならず、相手方には推定相続人の廃除事由が存するものである。

(3)  よつて本件申立による請求は相当なものとしてこれを認容すべきであるので、主文のとおり審判する。

(家事審判官 江口寛志)

別紙<省略>

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